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「アミチエ」(友情)と題されたこのアルバムを聴いて、「これはいったい何だ!?」と思うのではないか。
曲の雰囲気は実に多様だ。ジャズ、ポップス、シャンソン、民謡、童謡、ジプシー風、チンドン風……詩の朗読だって入っている。かずみとまやの声の質もまったくちがい、クラシックの歌唱法をベースにしたかずみの声は天に届くように垂直に伸び、中性的なトーンでささやきかけるまやの声は思わず耳をそば立てるほど気配が濃厚だ。そんな異質な要素のオンパレードのような内容なのに、聴いていると心の中に一本の太い綱が降りてくる。 なんで歌詞が聴きとれなくてもいいの? という疑問がソプラノ歌手として活動していたかずみの中にあったという。響けばそれでいいという考えに、どうしても馴染めず、クラシックの下地を生かしつつ、言葉が伝わる、語りかけるような歌い方を模索しはじめた。 日本で生れ、パリで成長したまやは、父ピエール・バルーの影響で音楽の魂を存分に呼吸する環境で育った。機嫌が悪くても舞台を見せれば直ってしまうほどライブや芝居の好きな子供だったという。十代で世界各地を旅し、ミュージシャンと出会い、生な音楽をたくさん体験したことが、音楽は生きている証だという確固とした音楽観を築いた。育った畑はちがうけれど、自分の外に出ていこうとする意志がふたりを結びつけたにちがいない。 聴いていると、愉快になったり、過激な気持ちをかきたてられたり、すぐそばの友人のことを考えながらも人間ぜんたいに思いが広がったりと、心の焦点が望遠鏡のように伸びたり縮んだりする。言葉を音に乗せて伝えるのが歌の作用とすれば、その言葉のとらえ方が実に豊かなのだ。 歌詞の意味を聴きとっていると、じんとしたり、そうだ、そうだとうなづかされたりする。意味には説得力がある。一方、響きに耳を傾ければ肉体が刺激され、元気がもりもりとわいてくる。日本語とフランス語が意味不明のまま奇妙なノリで上昇していく、まやと上海太郎のデュエット、「表と裏」はその際たる例。まさに「ナンセンスの門に福来たる」という感じだ。元は青森のどこかの町の婦人会の歌だという「音頭」も、WAKKUNの詞に乗せたかずみの高い歌声と、フランス語で歌うピエールのシャンソ風の声が、不思議なほどうまく出会っている。 異国を旅していると、聴いたことのある旋律が流れてきてふと立ち止まったり、意味不明の言葉が耳について離れなくなったり、単語の響きが日本語に似ていて笑ってしまったりということがよくある。意味で解り合おうとすると生じる無理が、音や旋律と絡めればひょいと乗り超えられてしまう。そんな希望が全編に流れていて、これを聴くとわたしはいつも、今日もいっちょうやったるか、という気分になるのだ。 文筆家 大竹昭子 ■
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by kazumaia
| 2004-05-21 11:41
| L'AMITIE
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